25日夜、仕事が思ったより早く切り上げられたので「エクス・ポナイト」vol.2を見に行く。いろいろ面白かったのであとでなんか追記すると思う。佐々木・古川・円城のトークセッッションが終わったところでイベント終了と勘違いして会場を後にしてしまったが、実はその後中原昌也青山真治が出てきてライブをやったらしい。ナマ中原昌也みたかった。残念。その後、副都心線に乗って海猫沢めろん『零式』を読みながら白亜へ。こんな内容なのか、想像してたのとぜんぜん違うわ、と思うが、よく考えてみたら事前に内容をほとんど想像してなかったことに気づく。じゃあ想像と違うってなんだ。というようなことを思いはじめたところで白亜着。リビングのとっちらかり具合がそろそろ落ち着けないレベルに達しつつあったので、寝室のほうに避難してカネコアツシ『SOIL』を読みつつ寝る。
26日明け方、ひ氏の帰宅で一度目覚めるが、せっかくなのでもうひと眠りして9時半くらいに起きる。『SOIL』の続きを読み、6巻の半ばくらいで「ちょっと話広がりすぎじゃねえ?これほんと終わるの?」と思いながら6巻の最後まで読むと、完結してないことがわかった。むしろなぜ6巻で完結してると思ったのかが謎。このへんでちょうど昼くらいになったので外出し、パナスやコンビニ上イタリア料理屋のランチメニューを比較検討するもピンとこなかったので、駅前のパン屋で好きなだけパンを買ってつまみ食いしながら白亜に戻り、リビングの片付けと洗濯をはじめる。部屋の主が外出してたり寝てたりする間のこうした活動を「こびとごっこ」と称してそこそこ楽しみながらやっていたりする私だが、なぜ自分の部屋は片付けられないのか、などと考えているうちに当初の目的を忘れ、「新潮」の対話(って書いてあるんですね、対談でなく)2本を読む。川上未映子は対談ばかりしているように見えるけど、小説を書く時間はあるのだろうか、などと余計な心配をしたり、平野啓一郎ウエルベックに言及してるのを読んで『ある島の可能性』読了の感想をまったくまとめていないことを思い出したりするが、まあいいやってことで考えるのをやめる。洗濯物を干しながら『ゆきゆきて、神軍』を観る。G田が以前げらげら笑いながら推薦していた映画なのでそういったものを期待していたし、事実オープニングからしばらくはこりゃちょっと危険ながら笑えるわと思っていたのだが、だんだんと雲行きが怪しくなってくる。戦争が終わった後なのに日本軍の上官によって射殺された兵士がいたようだ、という話の真相を探るため、いまでは普通の生活を営んでいる元軍人の住居を尋ねていってほんとうのことを話せと詰め寄る、みたいな話になる。途中で夏みかんを使って、「じゃあ銃殺の瞬間の配置はどうなってたんですか?ここに隊長がいたとしたら(夏みかんを置く)、(別の夏みかんを持って)あなたはどこにいたんですか?」といったようなことをやりはじめるところは笑ってしまったが、全体的には笑ってられない話。全編観賞後、ドキュメンタリーだと知って驚く。こんなの劇場公開していいのかよ。G田がどんなつもりで推薦してたのかあらためて訊いてみたい。このへんで、眠っていたひ氏が起きて外出した。さらに洗濯をつづけながら『サッド・ヴァケイション』を鑑賞。K谷が「3部作の第3作だから、せめて『ユリイカ』は観てからのほうがいい」と忠告してくれていたが、返却期限には逆らえないので観てしまう。タイトルバックの、時間がずたずたにされたような非連続的な映像が鮮烈。ラストの、石田えりがやってた母親視点の世界認識が画面全体を覆っていくような、どこか場違いな明るさの感じがものすごい違和感を残す。3部作を順に観ていって再鑑賞したい。洗濯が終わって本棚の整理に入る。そこで武富健治鈴木先生』の読んでなかった3巻から5巻を発見したので読む。毎度毎度『ミナミの帝王』に劣らぬものすごいテンションの画面で読むのは疲れるが、おもしろい。のんのんさま問題とか、鈴木先生の婚約者の生霊問題とかとんでもない話になっている。また最初からじっくり読みたいところ。気をとりなおして片付けを再開し、飽きたところでDVDを返却がてら帰宅。この間、『零式』をp.266まで読みすすめる。竜王戦トーナメントの結果を確認したりして寝る。
27日、暑くて目覚める。異常な量の寝汗を吸い込んだ布団に対し、「こんなにびしょびしょに濡れて、いやらしい子だねえ」などとI鼻の声色で言葉責めを試みるが、むなしくなってすぐやめた。その後、放送を聞き逃してしまった文化系トークラジオLife「方法としての体育会系」を聞きながらだらだら。偶然スタジオに来ていたというAV女優峰なゆかのしゃべり方というか発音(カ行の子音にラ行が混じってくる感じ)が中学生のとき好きだった女の子に似ていて甘酸っぱい気持ちになったりする。ところで「TV Bros.」でもかなり前に紹介されていたが、峰なゆかのブログはマジでおもしろい。将来リアルに文章で食っていくことになったりするんじゃないだろうか。森下くるみもあと5年遅かったらそういうポジションに…とか思って検索かけてみたら、いまも活動してるしブログもやっていた。感慨深い。とか思ったところで、「なぜAV女優は『セクシー女優』と名乗ってテレビに出演しはじめたのか?」というI田との議論を想起、さらにそこからの連想で「週刊現代」の「嫌煙〜」特集で小谷野敦が「(略)たばこと売春を世の中から完全に排除することは、どだい無理なんですよ。(略)」と語っていたのを読み、この人の芸風はぶれなくてすごいなと感じたことを思い出したりした。で、ゆっくりと起き出して外出。セサミで昼飯を食う。ここでM野さんと遭遇、たぶん3年ぶりくらいか。セサミのヘビーユーザーらしいと知って驚く。その後、喫茶店で読書。この喫茶店で読書という行為の意味がわからなかった(家で読めばいいじゃねえかと思っていた)のだが、部屋が超カオスになって落ち着いて本を読めなくなったいま、その必要を実感させられる。倉橋由美子『偏愛文学館』を拾い読み。岡本綺堂『半七捕物帳』が読みたくなる。でもって用があったので軽く白亜に行く。私が途中であきらめた作業をひ氏がほぼ完成させたようで、本棚がだいぶ片付いていた。そこでかわぐちかいじ『麻雀新撰組 はっぽうやぶれ』を頭から読む。蟹江凱がいい。王将で飯を買って帰る予定というひ氏に買い出しを依頼して晩飯を食う。「さんまのからくりTV」がまだ続いていたことに驚き、トータルテンボス大村の親父に笑わされ、「どうぶつ奇想天外」まで見てしまってからテレビの恐ろしさ(見るともなく見ているうちに時間が過ぎていく)を実感して白亜を出る。渋谷のブックファーストで『盗作の文学史』を買い、電車の中で読みながら帰宅。倉橋由美子が出てきて謎のシンクロニシティを感じる。ミシェル・ビュトール『時間割』を今年中に読むことを心のどこかで決意する。フジロックに行けなかった/行かなかった自分を慰めるためにたくさん日記を書いてたら、もう月曜日。