やっぱりおもしれえ。しかしひとつ疑問なのは劇団オンディーヌ・小野寺が演出家としてすごいっていうところがほとんど描かれてないことか。政治力だけの人間なのかなあ。過去に遡っても「奇跡の人」の舞台で姫川歌子に「私もアドリブで
北島マヤの演技と勝負したい」と言われて「あんたに任せよう」みたいなやりとりしたとこくらいしか演出家っぽいところがない気がするし。そこも含めて現時点では
北島マヤが有利ってことなのかもしれない。あとは演技なのか憑依なのかの違いが大きいのか。「
紅天女」では阿古夜の
一真への恋心の表現が重要になるっぽいが、そこを
姫川亜弓がどうクリアするかがでかい壁になるんだろうなという気がする。「100万の虹」の章で「
姫川亜弓の目…あれ、恋してないぜ」という共演者の批判を偶然聞いてしまった後、「恋する目とはどんなものか」を知るためエキストラ的青年俳優が自分に恋をするように仕向けその表情を観察するという手段をとった
姫川亜弓に対し、同じ頃、共演者である里見茂に天然で恋をしていたりする
北島マヤ。このあたりの描写によって二人のヒロインの「演じること」に対するスタンスの違いが人生に及ぼす影響さえ感じさせて興味深い。「
天牌」的な表現を使えば、
北島マヤは生きることがすなわち演じることであり、
姫川亜弓は生きることを演じることに従属させているといった感じだろうか。うまく言えないな。
第2話・4話・7話・15話あたりが特に好き。
「降って沸いた絶望」系の話は食傷気味なところがあり、たぶんそのせいで私は
浅野いにおがあまり好きじゃない(ただし『
ソラニン』はわりと傑作の気がする)のだと思うのだが、『ぼくらの』は読んでしまう。それはたぶん
鬼頭莫宏のどこかに
浪花節的感性があるからではないかという仮説を思いついた。検証はいつかします。
『
イニシエーション・ラブ』と同じ土俵で語られてることが多い印象があったのでこのタイミングで読むことにした。