耐えきれないような出来事は確かにあるけれど

 「寂しさ」という言葉を考えるときに思い出すのは、國分功一郎によって整理されたアーレントによる「孤独」と「寂しさ」の違いだ。

「哲学のない時代は不幸だが、哲学を必要とする時代はもっと不幸だ」――哲学者・國分功一郎インタビュー #2 | 文春オンライン

アーレントは、私が私自身と一緒にいることを「孤独(ソリチュード)」と呼び、これを、私が私自身と一緒にいられないがために、他人をもとめてしまう「寂しさ(ロンリネス)」と区別しています。孤独な人は必ずしも寂しさを感じるわけではないということです。そして孤独においてこそ、人はものを考えることができるのであり、哲学もそこに立脚している。

 the pillowsは「Another Morning」で「どんなに寂しくても/ 誰も迎えに来ないよ」「でも行こう/ 生まれ変わる朝が来た」と歌う。この歌は孤独を引き受ける人間の歌なのだなと思う。
この数か月、20歳までに聴いたJ-popの歌詞だけで自分の心の動きがぜんぶ説明できるような気がしていた。人間の感傷にはそんなにバリエーションがないのだろうと思う。きょうはスピッツの「君が思い出になる前に」を僕になったり君になったりしながら思い出していた。「優しいふりだっていいから/ 子供の目で僕を困らせて」と書いた草野マサムネの気持ちがいまようやくわかる。「子供の目」。

 twitterをはじめてから、自分では「いつかちゃんと文章にしておかないといけない」と思っていることも、メモ的に記録するだけで済ませてしまうことが多くなっていた。人生もおそらく折り返し地点は疾うに過ぎているだろうけど、きょうを新しい自分の誕生日ということにして、またぼちぼち日記を書いていきたい。