町田康『実録・外道の条件』および中島らも『超老伝 カポエラをする人』

正しいメガネを買って視力が回復したので電車の中で活字が読めます。ありがたい。
I田氏から同時期に借りた2冊を本日読了。

実録・外道の条件 (角川文庫)

実録・外道の条件 (角川文庫)

表紙の町田氏がハンサムすぎてきもいという話はさておき、というか、さておくことはできない。収録作のひとつ「ロックの泥水」にある「うっとりしたようなまなざしであらぬ方を見ている、という見るも無惨な、おっさんが、少年アイドルタレントの真似をしているような写真」そのものともいえるようなこんな写真を表紙にする意図はいかに、というようなことを一瞬だけ考えさせられる。

個人的にもっとも興味深く読んだのは「地獄のボランティア」。「この雑誌は先端的なアート及びファッションを取り上げる雑誌であるが、その運営にあたっては、学生、フリーアルバイターなどの有志のボランティアがより集い、無報酬にて運営されている」という雑誌から送られてきたインタビュー依頼のFAXに端を発する事件を描いた短編。

職業作家に対してノーギャラの仕事を依頼するという行為に対するむかつきが、極めて論理的に述べられている文章だと思う。以前、同じようなテーマについて書いた星新一のエッセイを読んだことがある(タイトル他は失念)が、「地獄のボランティア」では「依頼者側が、なぜノーギャラであることにこだわるのか」についても考察しているぶん広がりがある。まあ短編小説とエッセイをくらべるのもヘンな話だけど。

超老伝―カポエラをする人 (角川文庫)

超老伝―カポエラをする人 (角川文庫)

あらすじを読んだり最初の数十ページを読んだりしたら本格格闘小説的な部分があるのかと思ってしまうが、ほとんどない。といった意味において『地獄甲子園』的な肩透かし感のある作品。老人の一人称語りではじまるという意味においては井上ひさし『新釈遠野物語』を思い起こさせたりもする。しかし一番思い出したのは(なんだこの日本語)、筒井康隆の短編(たしか「ふたりの印度人」的なタイトルだったような…)。なぜだか知らないけど家の前に二人のインド人が立っていて、何もしないし何も言わない。的な状況を描いたものすごく怖い小説である。『超老伝』では「闘いはリズムにのせて」という章に「インド人に家を包囲されとる。」という菅原法齋の説明があるが、ここを読んでそれを思い出し、また怖くなった。なんで怖いのかはよくわからない。インドの方たち、ごめんなさい。