メモ。


今週号「週刊新潮」に掲載されている「福田和也の闘う時評」を読み、村上春樹訳『グレート・ギャツビー』をいまさら買う。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

この行動の背景をごく乱暴に説明するなら、福田の文章が言っていることを私の言葉で要約すると、「今年の1月に聴いたH教授の講義における『レイモンド・カーヴァーを翻訳するのにあまり適さない村上文体』こそが、『グレート・ギャツビー』を翻訳する際にはよい方向に働いている」ということではないか?と思ったからだ。これではほとんど説明になっていないので、後日付け加える予定。