5月7日改変、追記

3日夜はA部氏に連れられ、渋谷O-nestにてKIASMAvol.18「古川日出男×向井秀徳」に参戦。集える人たちのジャンルの多様さに半ば呆れながら(個人的には向井秀徳アコースティック&エレクトリック目当ての占有率のほうが高いような雰囲気を感じた)、開演を待つ。会場にてあたりを見回しているうちに、偶然U山氏とその友人に遭遇するなどのサプライズあり。A部氏が帰省などで参戦できない場合U山氏を誘おうかと考えていただけに驚きも一入であった。パフォーマンスは三部構成。


第一部:古川日出男朗読ギグ・セットリスト
1.古川日出男『「見えない大学」附属図書館』より(たしかこう言っていた。未読。表記は公式サイトを参照した)
2.吉増剛造「渋谷で夜明けまで」
3.古川日出男『LOVE』より「夏、五反田、ミノワ」
4.古川日出男サウンドトラック』より文庫版下巻p.149-165?


登場はわりとふつう。「憲法記念日向井秀徳と同じステージに立てることを光栄に思う」みたいな挨拶のあと、「まずは岩手県の馬の話をします。踊れる話でもないのでリラックスして聴いてください」的な導入で1.『「見えない大学」附属図書館』スタート。「じゃあ『踊れる話』があるってこと?」という疑問を抱くが、この一発目が非常にヤバかったのでどうでもよくなる。乱暴に要約すれば、岩手県は軍馬の名産地であった(ということを私はこのとき知った)のだが、軍馬が必要とされない時代になっていろんなものが失われていきました、という話(乱暴すぎる)。こういう歴史的な素材は朗読というパフォーマンスに適していると思う。『「見えない大学」附属図書館』は「すばる」2007年3月号に載っているようだ。読みたい。2.は古川日出男が「心の師と仰ぐ」詩人吉増剛造の作品。「ぼくは動詞だけしか信用しない!」とか印象的なフレーズが多々あった。3.4.は古川作品の中でもたぶん「ピュア系」(1月18日のトークショーで古川みずから『僕たちは歩かない』をこう呼んでいた)に分類されるものだと思う。個人的には、朗読の素材としてはピュア系の作品でないほうが好き。あるいは、ピュア系のなかでも『gift』とか『ルート350』から短編まるまる一本とかやってほしいような気もする。
とにかく発散される熱量が半端でないので、あてられて気分が悪くなってしまう女性などもいたようだ。


軽い休憩中にA部氏が「古川日出男はいっつもあんなテンションで小説とか読んでるのかなあ・・・」と漏らしていた。「シーンの解釈がだいぶ違う。俺は古川日出男が好きなのではなく、俺フィルターを通した古川日出男作品が好きなのかも」とも。この気持ちは少しわかる。『僕たちは歩かない』の「僕たち」がホリミナの声と会話するシーン、私はホリミナの声が遠くから響いてくるようなイメージで読んでいたのだが、1月のギグでは耳元でささやくような感じに朗読されていて、こういう解釈もありなのか、と思ったりしたからだ。まあ観客を前にしてのパフォーマンスと普段の読書を比較してもしかたない部分はあるだろうけれども。その解釈の落差を楽しむ、というのも朗読を聴く楽しみのひとつといっていいのではないか。
それはそれとして、このとき私は、「小説はともかく、詩はいつもあのくらいのテンションで読むべきものなのではないか?というか、ああいうテンションで読んでこそ詩というものを真に理解できるようになるのではないか?」と思ったのだった。


第二部:向井秀徳アコースティック&エレクトリック・セットリスト作成は断念


まあそんな感じの雑談をドリンクコーナーのそばでしていたらいつのまにか向井秀徳がステージに登場していて、「This is 向井秀徳。・・・をよじのぼって・・・」みたいなおなじみの挨拶をはじめていた。ZAZEN BOYSの音源を最後まで聴きとおしたことがあまりなく、曲と曲の区別がつかなかったりするのだが、ライブで聴くとものすごくよい。これは数年前のカウントダウンジャパンアヒトイナザワ脱退直前ステージを観たときも思ったことなんだが。今回こそはリアルに音源を買って聴こうと思った。第二部のベストはラストのWater Front(これだけはっきり覚えてる)だと思う。
ところで、ナンバーガールを聴いていても特に感じなかったのだが、向井秀徳の声の高音成分に含まれる金属的な感じの音は、スガシカオの高音域の声に通じるところがあるような気がするがどうだろう。


第三部古川日出男×向井秀徳・セットリスト(たぶん)
1.Tuesday Girl
2.6本の狂ったハガネの振動
3.USODARAKE
4.『ベルカ、吠えないのか?』より

第二部と第三部の間に15分くらいの休憩。この間、「いったい2人で出てきて何をやるつもりなんだ?まさかトークショーではあるまいし・・・」など、実に勝手な心配をしていた。古川日出男作品に向井秀徳が曲をつけるのか?それを古川日出男が歌うのか?など、疑念が最高潮に達した頃両氏が登場。古川日出男がいきなり何かを読み上げはじめる。それはTuesday Girlの歌詞をモチーフにした一種の短篇小説のようなものだった。ところどころに向井秀徳を思わせる「虚無僧」とか「サムライ」というワードが差挟まれ、それを聴いた向井がはにかむのを目撃して驚きながらもにやにやしていると、古川日出男の語りの終わりにかぶせるようにTuesday Girlのイントロがはじまり、おお。かっけえ。と思う。たぶん、みんながそう思った。そうして「6本の狂ったハガネの振動」「USODARAKE」が同様のスタイルで演奏?されたあと、いよいよラスト。


スタイルが変わる。ここはどんなふうに説明したものか難しいのだが、まず向井のギターが鳴りはじめ、そこに古川による『ベルカ、吠えないのか?』の朗読が重ねられる。しばらくは、ギターの音に乗っかる古川日出男の語りをその意味を噛み締めながら聴いているような状態。ある瞬間ドラムのフィル・インみたいな感じで向井秀徳の声がかぶさってくる。しかし同じフレーズを発音してるわけではない(と思うんだけど・・・)ので子音と母音のカオスが生まれ意味を追えなくなる。向井の声が消えるとまた多少言葉を聴くことができるのだが、しばらくしてまた2人の声が重なると、もはや言葉は意味ではなく音、もっといえばリズムそのもの、みたいなものになり、それに支えられるようにギターの奏でる旋律が浮かび上がってくる。この、最初は完全に言葉が主でギターが従、という関係だったのが、聴き手の(というか私の)認識レベルにおいて逆転する瞬間がまさに鳥肌モノであった。すげえものをみた。