森博嗣ηなのに夢のよう』を読了。

ηなのに夢のよう (講談社ノベルス)

ηなのに夢のよう (講談社ノベルス)


発売されてすぐ買ったから、4カ月くらい積んどいた計算になる。一応Gシリーズ完結作なんだろう(まさかちがうのか?[追記]今日、書店で帯をみたら「Gシリーズの転換点」と書いてあった。終わってないようだ)。これを読むことによって解明されること(過去シリーズの話を含め)もいくつかあるので、同シリーズ内では一番「読んだ」感のある作品だが、まだよくわからない。

ところで、「ネットワークのなかで生きる真賀田四季」というイメージから『預言者ピッピ』、さらに『魍魎の匣』を想起した。以下思いついたことをメモする。多少ネタバレ的な話を含んでいる気がするので、作品未読の方はこんな無駄なものを読んでないで両作を読んだらいいと思う。

預言者ピッピ (1)

預言者ピッピ (1)


魍魎の匣 (講談社ノベルス)

魍魎の匣 (講談社ノベルス)


・『預言者ピッピ』においてピッピは自我を持ちはじめたロボット(「ヒューマノイド型スーパー・コンピュータ」)として描かれている


・『魍魎の匣』のテーマ。機械のからだで永遠の生を手に入れた人間は果たして人間か。機械のからだに生じる意識は機械の意識


・雨宮に向けられる京極堂の「けだものは幸福なのだ」というセリフ。けだものとして幸福に生きるのか。人間として、「いつか訪れる死」という絶望を引き受けながら生きるのか。幸福に生きることは幸福なのか


・「機械が自我を持つ」というモチーフ。モチーフという言葉の正しい意味において。やはり人間は「永遠の生」を「欲望する」生き物なのではないか?


・「四角い箱のなかの人間」と「コンピュータのなかの人格」とのアナロジー