『新・批評の事情』がおもしろくて寝られない。啓蒙されまくる。


具体的には酒井隆史の項。永江は、自身の「街を歩いていてギョッとした」体験(区議会議員選挙の立候補予定者ポスターに「街を守れ!!」と大きく書かれているのを見つけたこと。「いま街は危険だ」という恐怖が人工的につくられている状況を示している)を導入として、河合幹雄のインタビューを引いて次のように書く。

たとえば、昔は「カネ貸してくれよ」と不良がからんでカツアゲしたのが、いまはいきなり殴って金品を奪う。犯罪の分類では恐喝から強盗になってしまい、さも凶悪化したかのように見えるが、やっていることは同じであり、たんに稚拙化したので強盗に分類されるだけだ。昔の不良少年は「街」の中にいて、「我ら」に含まれたが、「街を守れ」と線を引かれると、彼らは「奴ら」となり、「街」の外部に押しやられる。(p.79-80)


これは「人々を孤立した個人に解体し、全体主義を志向させるものこそネオリベラリズムなのだ」という酒井の主張にたどりつくためのたとえ話。「少年犯罪は凶悪化していない」という、それ自体はわりとよく知られている主張からネオリベラリズムの話にまで広げていく啓蒙力!ここで、「それってまんま『ホーリーランド』の展開じゃん!」と思い、今日まで名前も知らなかった河合幹雄酒井隆史の著作を読みたくなる、という私の啓蒙のされかたが正しいかどうかはともかく。