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土屋賢二と森博嗣の対談『人間は考えるFになる』を読む。
- 作者: 森博嗣,土屋賢二
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/03/15
- メディア: 文庫
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二人とも得意な語りのスタイルがあって、それを読みたいという期待に応えてくれる対談集だ。無茶な二択に対する森博嗣の「それ、違いがありますか?」という切り返しは単純にマネしたい。内容的にとりわけ興味深かったのは以下。
森 たとえば、女性のコレクタってあまりいないです。
土屋 そう。コレクターがいないから所有欲がないのかと思うと、所有欲はもの凄くある(笑)。なぜコレクターにならないのか不思議ですね。
森 これは後天的で社会的なものだと思いますけれど、以前聞いて興味深かったのは、女の子と男の子両方に人形を買ってあげる話です。男の子は気に入ると、次々同じ人形が欲しくなる。ウルトラマンを買うと、ウルトラマンタロウとかたくさん買ってほしい。女の子は、人形をもらうと、その人形の家が欲しくなる。人形の座る椅子が欲しくなる。小さな社会を作ろうとする。早く周りを囲って安定したまとまりを作ろうとする傾向があるというんです。コレクションというのは同系列のものをひたすら集める行為なので、いくら牛が増えても囲おうとはしないわけです。(p104)
以前、後輩の女の子としゃべっていて、「矢沢あいの『NANA』が好きな女の子って、彼女の世界観が好きなんですよ」みたいな説明をされたとき、「世界観」という言葉は意味がよくわかんねえな、と思った。ていうか、その説明は何も説明してないのと同じなんじゃないの、というようなことを思ったのを覚えている(他人には厳しい)。
その後気にするようにしてみると、矢沢あいに限らず、女性が同性の表現者を肯定する際に「世界観」て結構よく使われるフレーズなんだな、ということはわかった(江國香織とか蜷川実花とか)。そのことと「小さな社会を作ろうとする」特徴っていうのはどこか似ているように思う。まあ女性にコレクターがいるかいないかは知らないけど。でも、コレクターズってバンドがギャルバンだったら違和感あるかも。