読む順序

いまさら伊坂幸太郎『重力ピエロ』を読了。かつて渋谷のブックファースト恩田陸の何かを買いに行ったとき、近くに『重力ピエロ』の新刊が平積みされていた。そのとき帯の惹句(小説、まだまだいけるじゃん。みたいなの。上から目線すぎるだろ、という気もするが、それだけに率直な評価が伝わってくる名文句だと思う)が気になって、読もうかな、と思って以来買ってすらいなかったのを先々週くらいに思い出して買った。


重力ピエロ (新潮文庫)

重力ピエロ (新潮文庫)



語り手・泉水の父親(信仰を持たない)が一度だけ神に祈った(ある事態に対して「どうすることが正解なのか教えてくれ」と祈った)、というエピソードは、やばかった。以下その件に関する泉水と父親との会話。

「で、返事はあったわけ」
「あった。声が聞こえた」
あったのかよ、と私は笑う。
「思い違いかもしれないが、はっきりと聞こえたんだ」父は冗談を言うようでもなかった。「俺の頭の中に怒鳴り声が聞こえた」
「神様が怒鳴るとは。何と言ってきたわけ」
「『自分で考えろ!』」
「は?」
「『自分で考えろ!』ってな、そういう声がしたんだ」(文庫版p.97)

ここだけ読むと日本の若手芸人が捏造したアメリカンジョークのようでもある(「神様がそのときなんて答えたかって?『自分で考えろ!』って言ったのさ!ハーッハッハッハ!」的なノリ。伊坂幸太郎が描く会話には、意図的なのかどうかよくわからないがこんなノリのモノが散見される気がする)が、前後関係のなかでは相当感動的な部分(やはり散文の文章はコンテクストの中でないと正しい意味をとれないよね)。思わず電車のなかで泣きそうになった。


男家族のいない私にとって、この作品の中で描かれる「父と息子」「兄と弟」などの関係性はもはやファンタジーの領域。不在の母が大きな役割を果たしていることも考えあわせると、『ラッシュライフ』の文庫版解説で池上冬樹が伊坂をオースターになぞらえたことが初めて理解できる。理屈の上で理解できるだけで納得はしないけども。


最初にこれを読んでたら伊坂幸太郎が好きになっていたかもしれない。作家ごとに、いろんな人から「作品を読んだ順番」と「それによって受けた印象」を尋ね、印象の違いなどをまとめたらおもしろいように思う。まあサンプル集めるのがたいへんだろうけど。