傷ついたのは誰の心

浦賀和宏『透明人間』を読む。ミステリ読み系のブログなどで見ると、安藤直樹シリーズの7作めにしていちおうの完結作らしい(安藤直樹シリーズ第2シーズンと位置づけられる萩原重化学工業シリーズがあるため)。と、いうくらいの事前情報で読んだ。
小田理美が果たして信頼できる語り手なのか? という疑問とともに読み進めることとなり、「見えない死体」の問題でああこれは『姑獲鳥の夏』になぞらえているんだなと思う。あれは京極夏彦による「信頼できない語り手」問題のひとつのバリエーションなので、『透明人間』における語り手の信頼性の問題はわりと意図的に、著者によって読者のなかに喚起させられているわけだ。
しかし浦賀和宏という作家の一筋縄でいかないところは解決編で、安藤直樹は「小田理美の証言をすべて信頼するならば合理的な解決はこれだ」で謎解きをする……のだが、その解決に対して当の語り手たる小田理美が納得しない。小田自身の「推理」によって、安藤直樹が示したのとは別の「真相」が提示されて物語は閉じられる。
……のだが、おれはこれ、本当は小田理美はやはり信頼できない語り手で、彼女は自分が語っていない部分で罪を犯してる、というのが真相だと思うんだよな。手がかりはかなりはっきり示されているとも思う。それを確認しながら再読してみたい。
で、この作品をそういうふうに読むと、シリーズのこれより前の作品についても、「安藤直樹が示した謎解き」が果たして真相そのものだったのか、という見方が発生して、全体を俯瞰したうえでシリーズを読み直したくなってしまう。ややこしい作家だ。